手間

手間と言うやつについて

今思う事を書いておこうと思う


今日小さめのフレームを作っていて、ちょっと新しい形にしてみたのはいいけど
手間の割に小さめだし、思ったよりも手間をかけたところが引き立ってない

作りながらこれじゃダメだ!と思わず声に出して言ってしまった

いつも言ってる事だけど、手間は沢山かければいいってもんじゃない

かけすぎて迷宮入りする事だってある

だけれど手間が生み出す感動も確かにある

作った側の手間と見てくれた人が感じる手間はイコールではない


例えばこの写真の燭台

1つの木を削って出来てるんだろうな、、と見てくれた人は思う

燭台の一番下の部分が最大の木を削ってる

普通は木工ろくろでガーッとやっちゃうからあっという間だけど
そんなステキなギアを持っていない自分はノコギリとナイフだけで削ってる

はっきり言ってアホだ

そんな事してる人は誰もいないと思う

だけれど見てくれた人はそれほど手間は感じないように思う

なんとなく手彫りの跡があるからろくろで挽いた後、少し手彫りしてるのか

とか思われてるかもしれない

そう思われても嫌だなと思ったことがあって、手彫り跡を消すために
サンドペーパーで綺麗に消したこともある

それじゃあろくろでやった方がいいじゃんってなってやめた

この燭台シリーズははっきり言って物凄い疲労がつきまとう

だけれどどうだろう

これを2万円くらいで売りたい気持ちをグッと抑えて7000円くらいにしなきゃ
いけないのは、やはりそれくらいのビジュアルだって言うこと

こればっかり作ってたら自分の作家生命はあと2年も持たないと思う


手間と言うものをそれほどかけていないのに見てくれた人が
すごいなぁと思う造作はどこにあるのか

そうそう見つかるもんじゃない

流木は自然の造形だから実はほとんど手を加えず手間をかけなくても
すごい力を発揮してくれる

かなり助けられてる


魂込めて一瞬で書き上げた書道家の作品に手間はない

だけれど人を感動させることができる

造形物はそのハードルは高い


とにかく命削って作りまくってるうちに
ふとご褒美のように手間いらずの作品が生まれる

2年に一度くらいか、、、

いや、もっとか



流木に錆びたトタンをくっつけただけで
沢山の人を感動させる作品は作れないもんか

最近作り込みすぎてる作品が増えてきてそんな手間のことをよく考える


実は難しく考えすぎてるだけだったり
適当に作り上げることが近道だったり
手間と言うやつはこれからもずっと付き纏う厄介な呪縛だ