11/27副音声

グズグズの木をむしるように削り、硬い支持部分まで削ぎ落とす

こんな木、誰も使わないよね


最近木工作家さんで敢えて虫食いや朽ちた木を使ってボウルなど作る人が増えたように思います


これってすごく面白い現象で、昔は誰もやってなかったはず


でも今、それが作る側も買う側もカッコいいと思うわけで、そこには時代的感覚が大きく反映されていると思います

価値がないと思われていたものが日の目をみて、価値があるものがむしろ敬遠されたりする

金属でいえばゴールドよりも真鍮がいい

布で言えば豪華なシルクよりもボロボロのつぎはぎがいい

みたいな



自分の錆だって本来嫌われ者ですからね


いまだに出展してると決まって年配の人から、こんな拾った材料で原価がなくていいねって言われます


ここなんですよ



感覚の違いは



じゃあ高い材料を仕入れて、精密な機械を使って作るのが正解かと言われたらどうでしょう?

高いから良いものだと言う感覚は僕らの世代にはあまりありません


松茸よりもエリンギが好きだし、フォアグラよりも納豆が好きです


例えがずれましたが、僕は誰も見向きもしないような材料や決まった使われ方しかしない材料がこんなになるんだって言う痛快さみたいなのが一番テンション上がります


何事も決めつけると面白い感覚がどんどんなくなってしまう


くだらないことでもとことんまでやらないと面白いものは出来ない



えーっと、、、

なんの話でしたっけ?


そうそう!

時代的感覚ね


この感覚はあえて意識する必要はないけど、しっかり見極められてる方が良いと思うのです

と言う話