今年も終わろうとしてる

振り返り好きのはずがあまり振り返る気がおきない

そんなことより良いものを作りたい

手を動かしたい


曖昧に見えてる何かを知りたい


1つ1つ、日々、やり続けることではっきり見える日が来るのだろうか

わからないけど無駄ではないと思う



今日、知り合いが初めて自分の作品を見たのに、自分ですら曖昧な感覚をはっきりと言葉にしてくれた


意識がない


この表現が一瞬わからなくて聞いてしまった


つまり自分という表現を前面に押し出していないということらしい


その方が言うには日本人は自分の個性を主張した作品が多い


自分の作品はそれがないと言うのだ




自分も長い間雑貨業に携わり、色んなモノを見てきた

その中で、売れる売れないとは違う、自分の好きな傾向というのがある



簡単に言うなら、どこかの国の名もなき人が作った手の込んだモノ


日本という国は、手の込んだモノを作る名もなき作り手は職人などと呼ばれ、崇高な対象として見られる

名もなきでは納得できない人は、作家という肩書きでより個性を出したモノを作りアピールをする

つまり、ものづくりをする人は何かしらの肩書きを背景にそのものに携わる


アジアやアフリカなどの名もなき人が作った手の込んだものは、もちろん職人ではあるのだろうけど、そんな肩書きの重さや威厳を感じさせることのないものが沢山存在する


どこか親しみやすい、でもこんなのは作れないなぁみたいなものが


逆にいうと、これだけ素敵で技術的にも素晴らしいモノを作っている人が、名もなきでやっているのかと驚くとともに、自分がこの程度のもので名前を出して活動していることに恥ずかしくなることがある


個人の名前で、いわゆる作家という活動をすることが悪いことでは全然ないのだけど、自分としては
どこか名もなき人が作った愛嬌のあるものというテーマというか、未だに作家と言われてこそばゆい感覚があるのはそこだと思っていて、クラフトフェアなんかで自分のブースに立っていることがどうも自分が自分では無いような感覚になる


でも日本人は誰が作っているのか、どんな人がどんな思いで作っているのか知りたい人が多く、それに応えるべく作家という肩書きの元、そこに立つ


名前と作品が一致することで安心して買って行ってくれる人も中にはいるのかもしれない



ただ、自分は名もなき人が作っているものが好きなので、気持ちの面ではそこを意識して作っている



いや、意識もしていない、気持ちの奥の底あたりに常にあるのだと思う



不思議なことにその事をズバリ見抜いて取引を始めたお店もあった


ひっそりとお店のどこかに置かれて、雑貨の一部になれる事が嬉しかった


そんな自分の気持ちにふと気が付いた時に、名もなき職人(あえてこう呼ばせてもらいます)に憧れているんだとわかりました


長い間、モノを扱ってきて、尊敬と憧れの念を抱いて、今もそんな素敵なものに魅了され、お店に立っています  

自分のことなんか全然知らない人が気に入って買ってくれる喜びは最高です


いつか自分のお店の中の雑貨に紛れ込んで、どこの国の人が作ったものかわからないようなものが作れたらと思っています



今年最後に自分でもボヤッとした感覚を改めて考えてみる事が出来て良かったです